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バリのひと雫

* 写真家 加藤文太郎が、「直観」による写真と言葉で独自の表現をする 作品集。 大きいサイズの写真を使用。

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美の根源



















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人が、自然の美しさに惹かれ、しらずしらずのうちに自らを高める結果になるのは、自然の美に感応し、自分を起励するからである。
そして、その振動がさらに高まり、自然界のヒビキ(波動・波調)に感応するまで高調した時に、人は自然の美の根源を、垣間みることができる。


美の根源を知りたいという希求は、人間の最も純粋な知性の発動であり、どんなに強い名声や物質や智識などの欲求よりも、高次元のものである。

なぜなら、「美」の「根源」を知ることは、この宇宙の森羅万象を生み、我々の生命を生む元を知ることになるからだ。















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テーマ:ライカ・マウント・レンズ - ジャンル:写真

  1. 2014/04/22(火) 03:13:18|
  2. 文写家
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おぼろ満月の夜
















     buran-.jpg














昨夜は満月で、また、暦でもよい日とされ、ここ、バリ島では祝い事が多いが、ウブドという巨大化した観光地から少し離れた静かな村で、祝い事に呼ばれ、おぼろ満月の下に奏でるこの村のガムランと踊りに酔いしれた夜であった。

















  1. 2014/04/15(火) 22:58:14|
  2. バリの日常
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現代人の眠れる脳 2













我々の脳の中に、眠ってる部分がある、ということは、かつて、その機能が大いに必要とされ、進化し、人類は環境風土に適応し、又は調えて、地球上の今日の繁栄を見るに至るだけの、基本能力を獲得したのであろうし、人類という生物の、肉体的、精神的な機能が最大限まで出そろい、一応の発達を見た、ということであろう。





しかし、それらの機能は、一部は益々必要とされ、発達しつづけたが、一部は必要性が無くなり、使われること無く忘れられていったのだ。

それはまるで、我々の足や手も3ヶ月も使わないと退化するのと同じである。
しかし、進化の歴史は逆戻りできないから、眠った状態で残存しているのだろう。
後代に発達したのは、大脳智能の前頭葉の一部であり、忘れられたのは生物体覚的な感受性に関係する部分であろう。













bali-.jpg














しかし、果して全く使用されていなかったのだろうか?
そして、それを使用する必要が現代人にはないのだろうか?

まるで、我々の尾てい骨のようなモノになるのだろうか?










  1. 2014/04/15(火) 02:43:11|
  2. 文写家
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現代人の眠れる脳











現代人の脳細胞は、殆どの部分で使われずに眠っているといわれるが、現代科学、哲学で未解明の問題、つまり生命や精神の物理は、その眠っている部分の再開発のよってはじめて研究の緒に着手することができるのだろう。

我々の脳には「使われずに眠っている部分がある」ということは、かつては「必要があり進化し、使われていた事がある」という証拠でもある。


生物化学者によれば、現人類の脳は、発達の極にあるということだが、人間は、今も昔も、どの民族であれ、最高度までつきつめた人は、いずれも同様の「体験」に達する筈である。
現代の文化は、あらゆる方面の研究が出尽くしているように見えるが、実は、アタマの一部分の機能のみで間に合わせている程度にすぎないということになる。

言いかえれば、かつて、最も大事な問題に携わる機能として開発され、そのお陰で、一般動物次元から脱皮し、「人類」という「種」の、許容量一杯まで、平衡を保って使われていたであろう脳の部分が次第にその必要性が見捨てられ、現代人に至ってはその中心が盲点のように、抜け落ちてしまったのであろう。

結果、人間次元の欲求追求の為の機能が、極端に分化発達し、遂に自己自虐するに至り、その偏った跛行的現象に気付いた人々が、天然や自然のいとなみに融合した古代的生活に憧れ、そして独創性の必要を痛感しても、一体どこをどのように研究すれば、我々の脳をフルに回転させることができるようになるか、全く見当もつかず、漂流する笹舟の如く、現代の有様となってしまっているのであろう。


つまり、この「眠っている脳」をこのままに「活動している脳」だけに任せている状態が続いた結果が、今の世の極限に達した有様である。












nemurerunou.jpg






















テーマ:生きること - ジャンル:心と身体

  1. 2014/04/06(日) 22:15:58|
  2. 文写家
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ニュピの夜













ニュピは、サコ暦の祭礼日で日本の正月にあたる。
サコ暦は、月の満ち欠けと密接な関係がある太陰暦で、1年の穢れを払い浄める。


労働(アマティ・カルヤ)、通りへの外出(アマティ・ルルンガン)、火の使用(アマティ・グニ)、殺生(アマティ・ルラングアン)などが禁じられ、本を読む事さえ禁じられる。
精神を集中させ、世界の平和、最高神イダ・サンヒャン・ウィディに祈るのが、バリ人の信仰するヒンドゥーの祭礼だ。










NYEPI.jpg









外出が一切禁止されるということで、バリ島全土の交通機関は止まる。
驚く事に、国際線を含む空港の離発着も、この日だけは例外なく全て休止となり、
バリ島全体が、人間の行う一切の挙動を禁じられ、静寂につつまれるのだ。

バリ島は、電車やバス等の交通機関が発達していないため、人々の足となる車やバイクが、相当な排気でこの島の空気を汚しているが、この日だけは5,60年位前のバリ島の空気につつまれるわけである。






実際に体験してみると解るが、人間以外の世界がなんと静かで美しいことか。
往昔の人々が、自然に畏怖を抱き、感謝する気持ちをもつということが、体感できる。


個人的には、一年に一度くらいは世界中で執り行われても良い祭礼だとは思うのだが。。














  1. 2014/04/01(火) 01:29:33|
  2. バリの日常
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