FC2ブログ

バリのひと雫

* 写真家 加藤文太郎が、「直観」による写真と言葉で独自の表現をする 作品集。 大きいサイズの写真を使用。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

美感電圧











bi_201408121527257b6.jpg










天然や自然そのものに「美」の意識はないが、天然自然の為すワザ、つまり空や雲や星や月海や山や石や花や鳥、人体等の姿に「美」を感じ出したことに、人類の文化の発祥、人間的心情の芽生えがあり、その「美」とは何であるか?どうして天然自然が、そのような「美的」な成りや「美的」なハタラキをするのか?を解明する度合いや様相を以て、その民族の文化のレベルやニュアンスが表れると言える。


絵や彫刻や音楽や詩や歌等の芸術と呼ばれる分野は、この「美」を指向し、「美的なワザ」に参加するものだが、「美」は芸術や文学や美学だけのものではない。

各種の方面に分化発達した学問や技術も、人々の日常生活も、この天然自然の「美」に感応し共鳴するまでに内容が充実のでなければ、真の文化とは言えないし、科学も、天然や自然の美的機構、つまり機能と構成を、充分に説明できるものでなければならないといえる。



優れた画家が対象を見つめる眼は、画家の自由な選択にまかされているが、ここぞと思って、イーゼルをすえて眺める、その場所が実は、その付近で最も電圧の高い地であるという「美感電圧」の物理と一致することが多い。

則ちその場から眺める風景が最も美しく、人は、そこに立てば最も快くなり、それを「美」と感じ、画家は絵心をそそられるわけだ。

そして、そこで描かれる美の創作には、画家個人の能力だけではない、その地の高い電圧、則ち癒しのエネルギーの参与がる。
「天才」という言葉を作った人は、まさにこの「天(アマ)の才(ハタラキ)」という直観があったのだろう。


私自身、写真家を撮り、表現する者として、人物を撮る時も風景を撮る時も、常に高度の美感電圧地を直観し、撮影する事が多い。

仏像を拝するにしても、最も崇高な美を感じさせる場所があり、家を建てるにも、ものを置くにも、最も安定した、落ち着きを得る場所方角がある。





それに適えば、人は健康になり、精神も和らぎ、何よりも気もちがよく、そのような場所は美しく、そこにあるものは「美」を感じさせる、美的機能構造をもつのである。我々は、電圧計で測定して、はじめてなる程とわかるが、古代の人々は電圧計等計らなくても、素直な感によって、それらを知っていたのである。


科学が、現象面に表れたものや実用に役立つものだけを追いかけ、手に負えないものは勝手にカットし、見えないものは無視し、「美」などは科学が扱うものでは無いという態度では片手落ちということである。










関連記事
  1. 2014/08/12(火) 15:28:20|
  2. 文写家
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<入り日 | ホーム | 相似る形>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://bunshakan.blog.fc2.com/tb.php/90-3e83a65a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。